2011年11月15日火曜日

国民性

最近ではハーフタレントやアーティストが持て囃される時代になった。
しかし、見た目からして外国人的な人でも、一度も外国生活をしたことがなく、日本生まれ日本育ちで、日本語しか話せない人も多くいる。

逆に外国生まれ外国育ちで、日本語は話せないが顔立ちは日本人そのものの日系人も多く居る。

この日本では、あまり移民文化は発達しておらず、日本人の顔立ちをしていれば日本人だと思い込まれて当然なのかもしれないが、海外では移住や移民は大して不思議なことではない。
○○系○○人というのは多い。

前文に書いた人たちの中には、多くが色々なコンプレックスを抱いている場合もある。

しかし、もっと難しい人は、日本生まれ日本育ちだが親が外国生まれ外国育ちの人だ。
それは親は自分が育った文化が当たり前だと思い、子供を自分のお国流に育ててしまうために子供は文化や国民性に悩まされる。

見かけは日本人、言葉も日本語、でも物腰は外国人そのもの。
これは実に厄介で理解されにくく、変わり者にされやすい。

日本の国民性の多くは、あまり図星を突かず、自分の意見を主張するにも薄ら笑顔で、それとなく伝えようとする傾向だ。
たまに率直な意見を単発語で言う人がいるが、そう云う人は『毒を吐く』とか『言いたいことをはっきり言う』などと言われる。
いわゆる、今時流行りのオネエキャラの人たちのようなケース。


一方外国でも、商談などは腹の読み合いで『切り札』として、何もかもをストレートに言う訳ではないが、自己主張や意見をはっきり伝えない人は、日本とは逆に何かを企んでいると誤解される。
また薄ら笑いや愛想も同じように、扱われる。
すべての国で外国は、そうだと言っている訳ではない。
大多数の文化というおおまかな括りでという事だ。

相手を思いやる文化は、日本人は非常に繊細な心使いで扱う。
しかし、私が感じるのは、ちょっと気を使いすぎなのでは?や、人の顔色を見すぎて、事が先に進みにくいということだ。
そして、それが故に悪口、陰口、愚痴が多く、人間関係がまるで腫れ物扱いのように感じる。

人間は同類と群れ、分配能力があり、トレードオフの能力がある。
他の動物と違い、人間は広範囲で生息し、価値観や概念はそれぞれが育った環境によって作られていき、それは年齢とともに成長や変化する。

ことに『正しい』と思う概念や観念は、多様なもので、中々覆るには時間が掛かる。

国民性の違いは、いわば概念の違いといっても良いのかもしれない。
たとえ国が違っても、その人の持つ人間性が大切なのではないだろうか。
『ものは言いよう』というが、伝えたい言葉も、その言い方やニュアンス、音波などで意味は変わる。
単刀直入に言う場合でも、突き放す言い方は反発を招き、回りくどく確信を得ない言い方は誤解を招く。

ようは、自分は相手に何を伝えたいのか?
自分は相手に伝えた後、どうしたいのか?
結果(到達点)は何を目標にしているのか?
そういったことを一呼吸置いてから、対話するのは国内外問わず必要なことだと思う。

外国人の中にも、煮え切らない内気な人はもちろん居る。
自己主張ばかりして、相手の気持ちなんてお構いなしの人も居る。

人と人が会話するに当たって、大切なのは合意すること。
「そうだね」 と言える会話をどうすれば出来るのか考えるのは非常に重要なことだと言えよう。

日本の格言の中に
『自分の考えを押し付けると、人は去ってゆく』
というものがある。

もう少し、心を開いて相手と向き合う勇気を持つ努力も必要な時代ではないだろうか。