2014年5月8日木曜日

三つ子の魂百まで

一人で居ることが苦にならず、小さい頃から目的もなく他人と関らない性分の私が、最近になって、つくづくと感じるものがある。

『三つ子の魂百まで』という諺があるが、一度造られた性分や人間性は生涯変わることはないと思える場面が多くなった。

人は3歳までに受けた影響が生涯大きく人格形成に起因し、10歳までに造られた自我が人格をほぼ形成すると言われている。
人生の中で、様々な境遇や出会い、他者や地域との関り合いの中で、喜怒哀楽や趣味、嗜好性、善悪の価値観をそれぞれ作り上げていく。

メンタルヘルスや心理学などが普及し始めたと言っても過言ではない、この日本では ”生きにくさ” が問題視されているが、元々生きることは容易くはないのが本来当然であり、挫折や傷つくことを経験しない人など居ない。
情緒的に問題があると思われる事態に陥った時、生い立ちに視点が向けられるようになったのも極最近になってからだ。
幼児期の生い立ち、つまり育てた大人との関り合いを重視しているのだが、この諺は心理学など必要としないほどの図星を突いている。

よく 『小さい頃はあんな風じゃなかった』 や 『小さい頃はあんなに出来たのに』 など言われたり、言ったりしている筈だ。
それは小さい頃から何かが変化してしまったような気がしているだけであって、実はじっくりと思い返してみると、大きくなった今現在の目に写る姿はその、『小さい頃』 を大きくした人になっているのだ。
大人になるにつれ多少の社会的調和や物事への分別を学習し、他者との関り方を習得するのが人間であるが、根本的な人間性は殆どと言って良いほど変化しようがないのが自我そのものである。


同窓会のような場面で皆さんは経験がないだろうか?
「いや~、相変わらず変わってないねぇ」 という台詞を交わす状況。
これがまさに三つ子の魂百までを象徴する言葉なのだ。


相変わらず変わらない人間性の善し悪しは別として、多くは印象的にその人の良い面を差して発言しているのではなく、無意識に人は悪い印象の方が色濃く残って居り、例えば仲間で悪ふざけをした思い出話の方が会話が弾んだり、辛かった時に支えあった良い記憶は帰宅してから 「そういえば」 と後から思い出すのも一人静かに思い出している場面が典型的なことだと言えよう。

何か気になる、どうしていつもこの人は?と思う場面に遭遇した時、その人の幼少期のエピソードは参考になる。
細かく辿っていくと、意外にあまり成長していない性分が見えてくる。
幼馴染や兄弟姉妹、親など身の回りに沢山、相変わらずな人を感じる瞬間は誰にでもあり、自分の性格や行動パターンや思考パターンなども知る手がかりになる。

冒頭、私の性格的傾向を書いたが、まさに私自身幼稚園の頃から何も変わっていないと実感することが特に多くなった。

人は、○○ぶっているだけだ。ということである。