2012年9月7日金曜日

メタリック・ワールド

私の記憶では、日本に於いて 『近未来』 という言葉が現れたのは鉄腕アトムの時代ではないかと思う。

昔、私の父が話してくれた事があった。
父が中学生の頃、少年誌に鉄腕アトムが連載され、夢中になって読んでいたそうだ。
父が言うには、その頃は 『ただの夢物語』 であって、「まさか、そんな時代が来るわけないだろう」 と思いながらもワクワクしていたが、本当に町並みの風景がそうなったと語るのだ。
何の事なのかと聞けば、父の時代に町中の道路の上にクネクネと道路が作られ、その上を車が沢山走ったり、高層ビルがその合間を沢山建つなど考えられなかったのに、いま本当にそうなって、驚いていると言うのだ。


いまも尚、映画やアニメ、科学技術の世界でまさに誰もが、まだ 『近未来』 という言葉を何のためらいもなく発言する。

近代(いつからが近代なのかが、やや疑問だが)になって、想像(イメージ)される近未来のヴィジョンとは、ターミネーターからだろうか(私はSF映画に詳しくないのでタイトルを忘れたがダースベーダーの映画)からなのか、人間が皆同じ形の銀色の服を身にまとい、カプセル型の透明な寝床で、食卓は銀色の食器に囲まれ、家具も全て、居住空間が銀色の世界一色だ。


人には、何かを想像する時に必ず脳裏に何らかの映像化された世界がある。
メディアや様々な外的なモノによって、疑う事無く映像化された近未来のヴィジョンが、銀色の世界。
それは、ある種の他者からの影響によって与えられ、刷り込まれたヴィジョンであると感じる。

個々人が、各々の自由な発想によって生み出されたものではない。


しかし、私がそれよりも更に疑問に感じるのは、既に私の父が語ったように、未来は実現・実用化までされているにも拘らず、まだ 『近未来』 というキーワードが使われる事にある。
一体、いつになったら真の近未来は実現され、未来が現在になるのかと思うのだ。


理屈っぽいかもしれないが、高度経済成長期から40年以上経っても、まだ未来はやって来ていない。
テクノロジーの進歩は、父の時代とは違い、こうしてコンピューターが発達し、人との連絡も殆どがGPSやクラウドと云ったインターネットを介して行われるようになったのだから、もう人力は殆ど必要のない時代になった。
これが目指してきた近未来であり、現在であるのに、まだそれ以上の宇宙的未来を開発している。
それは、人類の欲する処である事を否定はしない。


だが、どうしても腑に落ちないのは、ここまで一般人もハイテクノロジーを日常生活の中で利用していながら、イメージする未来像が、相も変わらない銀色の世界である処だ。
何故なのだろう。


そう考えている内に次第に感じてきたのは、SNSなどのソーシャルコミュニケーション上や生活圏での人間関係の中で、人々の心がアルミ製なのか、他の金属性なのかはさて置き、銀色の金属素材のように冷ややかな感覚に思えてきた。

洋服や家具などは、モノトーンが流行り、逆に絵の具を無作為に混ぜ合わせたかのようなカラフルの域を超えたバラバラの色彩が好まれる一方で、索漠とした人間関係はまるで金属のように冷たい。

例えば、ネットコミュニケーションでは離れた場所の会った事もない人と 『友だち』 になり、チャットやメールで仲良くなっては、何かの行き違いでブロックしたり、削除したり、時にはオフ会で対面してもその後疎遠になる現象は未だに続いている。
『リアル』 と言われる実際の地域社会での友だちとも、ネット上の書き込みによって人間関係にひずみが生じて、いじめ問題へと発展して傷つけ合ってしまう事も後を絶たない。
それは何故だろう。


私には、地方社会に未だ残る、村八分文化の方がまだ優しく感じられる。


結論的には、電波を介した人間関係には、村八分という猶予的時間がなく、無理をして神経をすり減らして、挙句には精神まで病めるほど我慢を強いられてまで繋ぎあう必要が電波社会には必要がないからだ。
電源を切ってしまえば、それまで会話をしていた相手は居るのか居ないのかも確認できない。
それを逆手に、簡単に削除やブロックをして、断ち切ってしまえば悩んだり、解決する労力を次の楽しみへと即座に移せるからである。


それが、人々を金属化してしまう原因なのだ。

しかし、そのネット上の出来事に一喜一憂し、翻弄させられ、悩まされ、心は一分一秒左右され続けている、この現実は、『夢見る近未来』 の人々が得たい真実の世界なのだろうか。
私は違うと思う。



本当は、心の底から何の遠慮もなく、他愛なく笑いあい、時には悩みを共有しながら、本音で語り合いたいと人は望んでいる筈だ。
それなのに、どんどん反比例していっている現実に気が付いていない。


この世の中は
『メタリック・ワールド』

2012年9月6日木曜日

平和になる瞬間を観られなくなった子どもたち


毎日テレビやニュース、映画といった映像の中では、殺人や戦争など事件事故、天災による自然災害、それと領土問題など争いや嫌なものばかりだ。

ふと思った。
今の時代では、誰かやどこかの国で平和になるような歴史的瞬間を観られなくなったんだ。


東西ドイツの長い争いが終わり、分断の象徴のベルリンの壁がなくなった。

天安門事件で、一人の大学生が戦車の前に紙袋を片手に立ち向かい、抗議する姿。
その後彼は戦車にひき殺され、それによって一気に市民が立ち上がり武力弾圧と戦かった。
そして今の民主的な中国になった。

ソビエト連邦が崩壊し、支配下にあった小さな国々が次々と分離・独立し元の自国に戻った。
チェコも昔はチェコ・スロバキアだったが、それぞれが独立した。
そしてソビエトもロシアという元々の名前に戻った。

日中国交正常化40周年を迎えるというが、私は幼かったためにその瞬間は知らないが、何回か田中角栄元首相の白黒の映像を観て、平和になった瞬間を観てきた。

沖縄が日本に返還されたり、香港がイギリスから中国へ返還されたのを観てきた。

そうした中でアメリカ主導の下、湾岸戦争が勃発し 『多国籍軍』 と云う新しい戦争の形が出来、日本も自衛隊が初めて海外での戦闘に参加する瞬間を観た。
その時、自衛隊では他国の軍服に見習うかの様に制服一式が一新され、ベレー帽、スカーフなど今までにない物が採用され、迷彩服はアメリカ軍の形が採用されるなど変更された。
C-130輸送機の塗装は海外使用に塗り替えられた。


そんな平和へと変わっていく世界の姿をこの時代の子どもたちは観る事がなくなった。
唯一、先頃のミャンマー(旧名ビルマ)での民主化運動指導者アウンサン・スー・チーさんが自宅軟禁から解放された映像くらいしかないのではないだろうか。

しかし、その瞬間をテレビで観ても、子どもたちには平和へ向かう第一歩とは感じる事も理解する事も出来ないだろう。
それは経緯を何も知らないからだ。
教科書で見たか、学校の歴史の授業で聞いたか、その程度でしかないからだ。

私の子どもの頃にはビルマは既にミャンマーと国名が変わっていたが、それでも私の記憶にはビルマとあった。
同じ様に、現在はスリランカと国名が変わっているが、昔セイロンという名前だった事も知っている。
セイロンは、紅茶の国だ。セイロン人だ。




これから世界はどうなっていくのだろう。
シリアでの内戦が悪化し、遂には国連の人や車、海外メディア人をターゲットにした殺害まで起き、撤退する事態にまでなってしまった。
幾ら、国の治安正常化をしようと努力しても、難民キャンプでの国際協力医師団が必死で治療や支援をしようとしても、次々と中東諸国は荒れていく。
中東に限らず、世界各国様々な所で戦争や内乱は続き、病害や飢餓は収まらず、自然界も同じ様に砂漠化が止め処もなく進み続け、北極や南極の氷は融け続けていく。

世界的な経済不況は、次々と起こり、円もユーロも下がる一方で、アラブ首長国連邦、中国では急激な経済成長によってバブル状態が起きている。



地球や人間が荒れていく姿しか観られない子どもたちは、何を感じているのだろうか。
この日本でも、震災や豪雨被害、原発問題、韓国、中国との領土問題、いじめによる自殺など沢山の荒れる映像ばかりだ。
テレビで観るのは、そんな事件・事故かお笑い番組。
ネットの中では、SNSの書き込みで一喜一憂する言葉のやり取り。

希望を持ってと言われても、何が 『希望』 と言えることなのか理解出来なくて当然だ。
『個性的に』 や 『オンリー・ワン』 と言われても、出る杭は打たれることを知っている子どもたちは自己主張をしない。
また自己主張の仕方も知らなければ、自己主張と自己中心の違いも解らずに 『主張』 の意味そのものを履き違え、勘違いしている。
それをキッパリと、説明の出来る大人が居なくなった。
今時は、『説明』 を 『説教』 といきなり決め付け、心にシャッターを降ろしてしまい聞く耳を持つ余裕も持っていない。

そもそも、説明とは事実や事情を明らかにすることであり、説教とは嫌な話や嫌味を味合わせるものではなく、先人の経験からその時々に応じて教えることである。
言葉の本来の意味もあやふや、気持ちもあやふや、生活すらもあやふや、その中で育ち生きる子どもたちが抱く思いは、人生始まって間もないにも係わらず 『人生』 という言葉を使い、『生きる意味』 を探す不安ばかりだ。

挫折と言えるような挫折でもなく、それは失敗や経験の一つであるのに、絶望を語り、死にたいと簡単に言う。
裏返しに、すぐに自分を否定や非難したり、自分が好きでないものに対し、『死ね』 と言う。
妙な事に、『神だ』 という極端な言い方の賞賛や 『天才だ』 とすぐに絶賛する傾向も異常だと言える。

結局は、こんなに治安の良い日本でありながら、実際の日常生活での人間関係では敵か味方でしかない。
それは意とも容易く、いつでも逆転する危うい人間関係になっている。
昨日まで、いや、ほんの数分前までは味方や仲間だった人間が何の予告もなく敵に変わっているのだ。
マンガ、アニメ、ゲーム、映画の題材が、そのまま現実の世界に反映され、その現実がまたフィクションの題材に利用されている。

ゆとりやら、グレーゾーンなどと曖昧な概念、価値観を抱くことと反比例して、是か非かのオール・オア・ナッシング的思考しか選択しない現代社会。



大人や国政が揺らいでいる背後で、子どもたちは大人の知らない絶対的価値観を極端なまでに持ち生活していることに気付かなければならない。
世の中を動かしている大人たちの足元は、その子どもたちによって、まるで融けて漂流する小さな北極の氷の欠片のように見える。


※平和になったイコール是にて一件落着というような単純なものではなく、ここで書いた 『平和になった』 という表現は、争いから放れて友好的関係や互いの平和を目指してということであり、好転を意味しています。



2012年9月2日日曜日

パラリンピックが放映されないことについて

今回のロンドンオリンピックは、開催3回目ということもあって、色々注目された。
時差の関係から放映時間は、生中継でみるには日本では夜中だった。
それでも夏休みと重なったのもあって、録画や生中継で見た人は多かっただろう。


いつもオリンピックを見るたびに、知らない人が 『ああ、終わったね』 という声を聞いてきたが、「いやいや、閉会式はやってもまだ、やるよ」 と言うと必ずと言って良いほど 『えー、そうなの?』 と返事が返ってきた。

パラリンピックは、オリンピックが閉会した2週間後に改めて開会式が行われ、障害者競技が開催される。
そもそもオリンピックとパラリンピックが分けられているのは、差別ではない。
健常者としての技量を競い合うのがオリンピック。
障害の程度やそれぞれを考慮し、障害者としての技量を競い合うのがパラリンピックだ。
その歴史は1948年のロンドンオリンピックに始まる。
詳細はウィキペディアを読まれると良い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

それ故に、今回のパラリンピックは特別な意義があると言える。

しかし、毎回開催されるオリンピックの後、テレビでは結果しか報道されない。
あれだけ日常の企画を変更してでもオリンピックは放映されるのに、ニュースやワイドショーの一部でしか取り扱われない事に、とても違和感と不満を抱いてきた。

今回、東京に於いてメダリストたちの凱旋パレードに集まった人は、50万人にも上った。
毎度の事だが 『勇気をありがとう!』 や 『感動した!』 『パワーをもらいました!』 そんな言葉が沢山選手たちの貢献に対して寄せられる。
少なからず誰もが、超人的能力と日々の訓練に賞賛する気持ちがあるから、そう素直に言えるのだろう。

それならば、障害を背負いながらハンディを持った人の日々の努力や、精神力は想像を超えるほどのものに対し、メディアは知らせる代理人ではないのか?


健常者でもオリンピックに出場するまでの道のりは長く、故障や怪我によってリハビリでトレーニングに専念しなければならなかったり、候補者協議会に出場できず断念する人も沢山居る。
その中で選ばれた人が出場できるのだ。
パラリンピックも同じく、選手選考会があり、選ばれた人だけが出場できる。
しかし、健常者と障害者の選手の違いは、身体障害だけの問題ではない。

障害者は、先天性の人も居れば、事故などによって人生の途中から障害者になった人も居る。
その挫折感や失望感を乗り越え、障害者スポーツに出会い、人生の生きがいを見つけた人が日々練習に励み、自分との戦いの中にある。
日常生活で思うようにならない、自由にならない問題を抱えつつ、スポーツをするということは、不自由な身体を更に不自由な中で動かさなければいけない。
その精神力は、健常者にはきっと想像すらできない世界があり、日々忍耐、努力、自分の目指す自己理想像に近づこうとする貪欲なまでのものがある。


オリンピック選手がどんな練習を毎日し、競技に臨んでいるのかを健常者が体験した時、その難しさを知る。
それならば、障害者が同じく挑んでいる競技はどの様な難しさがあるのか、考えてみて欲しい。



報道は公正・平等を元に、もっと広く人々に知らせる義務がある筈だ。
24時間チャリティー番組で、この時とばかりに障害者を取り上げ企画する事に違和感を抱く人は多い筈だ。
それは、障害者を 『ネタ』 に、わざと感動や涙を誘う番組構成に辟易しているのではないだろうか。
敢えて 『ショウガイシャ』 と銘打つようなことは、心理的に共感することよりも、『触れ込み』にしか感じられないのは、誰もが無意識の内に 『差別』 と脳裏に感じ取っているからだ。

もっと普段から色々な番組の中で、障害者の生き様を紹介して行く必要がある。
障害者は、特別な人ではない。
身体的に不自由なだけであって、『人』 に変わりはない。
特に、肢体不自由者は車椅子を使用していても、上半身は何ら健常者と変わりなく、その車椅子を自力で漕ぐにあたっては、むしろ健常者(健常選手と比較するのではなく一般人と)よりも筋力が発達している。
その姿を見て欲しい。
そして、障害者の人たちにもそのひたむきに、ひたすら自己理想像に近づこうと努力している姿を見て欲しい。


断片的な 『頑張る姿』 だけを見ても、何も伝わらない。
どんな経緯があって、いまこの姿になれたのか、それを見ることで、知ることで、健常者、障害者双方に 『賢明に生きる』 とは何かを感じて欲しいと思えてならない。

『心が折れた』
『モチベーションが上がらない』
『どうせ自分なんか何も出来ない』

そんな愚痴を毎日吐いて生き辛さばかりを嘆くのなら、生きる価値など見つからない。


どうか、放映されないパラリンピックであっても、断片的に結果論だけを放映されても、それを見てでも、『あの人たちが、あれだけ頑張れるのだから自分にはもっと出来ることがある』 そう考えて欲しいと思う。



東日本大震災によって、いま日本には 『頑張る勇気』 が必要と誰もが言う。
『絆』 と誰もが口にするのなら、障害者とも手を繋ぐ方法を見出すべきだ。
口だけでなく、心底から勇気や感動、生きる意味を見出す必要が、ここにある。

パラリンピックの放映が、オリンピックと同じ様に放映される日が来ることを願うばかりだ。