2013年11月9日土曜日

信じる

約束は守られなければ、何の意味もない。
そもそも、破られるかもしれないと云う不安定なものを抱きながらするような約束をすること自体が馬鹿げているんだ。

信じるとか信頼なんて、無意味だ。

いつでも壊れてしまう、そんな無意味な幻想のようなものを信じようとする方が馬鹿なんだ。
約束を破っても、何の咎めも受けない。
咎めたところで、守れなかった過去の問題を償うことは不可能だ。
だから無意味なんだ。

だったら何の為に約束する?
何の為に契約はある?

すべて破棄したら終い。
不履行で終い。

昔、『約束は相手を信じる為にするものではなく、自分を信じる為にするもの』 と思った。
自分を信じる為にした相手が破った約束は、いとも簡単に泡のようになかった出来事になってしまう。
そんな美学的な考えの間違いに気付いたところで、私はどうしたらいいのか解らない。

怒りに任せて責めても、何の解決にもならない。
破られたことを悔やんで嘆いても、何の解決にもならない。
結局、自分が取らなくても良い責任を取って、破った相手には何の罪にも問われず、罪悪感なんて薄らいでいくようなものだけ抱えていればいいだけ。
信じた自分が馬鹿だったと云う責任を取るのが、こんな虚しさや怒りを代償に貰うことなのだろうか。


矛盾だらけの世の中で、この約束を破る行為に対しての罰則がない 『やった者勝ち』 のような現実が許せない。
ここは本当に法治国家なのか。
道徳や常識の無意味さを思い知った。