今回の東北地震の影響で、ありとあらゆる場面で
『不謹慎』や『自粛』の言葉が独り歩きして、人々の翻弄する心理が見られる。
しかし、このゴールデンウィークを利用して、被災地へ個人的にボランティアで行く人や被災地の状況を一目見ようと出掛ける人で高速道路は大渋滞になっているという。
私はその報道を見て、ふと思い出した。
地下鉄サリン事件が起こる前、上九一色村にオウム真理教のサティアンが建設されており連日のように報道され、上九一色村へ見物しに行く人たちの大渋滞があった。
誰も知らなかった村は一気に汚名と共に有名になったが、その村は今はもうない。
あの時、どこから来たのかも分からないほどのよそ者が押し寄せたのは、村に旅行に来た訳でなく、ただの野次馬根性の人たちだった。
どこか怖いもの見たさだけで、村人の気持ちになって助けようとか、オウム真理教を排除しようとするデモが起きた訳ではない。
その時、そういう野次馬根性で村を見物する事が不謹慎だと言った人は居ただろうか?
そして、その後村が受けた風評被害によってどれだけの村人が苦しみ、村名自体がイコール、オウム真理教とされ無くなってしまった事をどれだけの人が知っているのだろうか。
今回の被災地見物も同じ事だと思う。
散々、不謹慎だの自粛だのと言っていながら、何を見に行くのか非常に嫌悪感を覚える。
連日のように津波で何もかもが無残に押し流されてゆく映像を見せられ、まだその瓦礫や残骸は撤去されては居らず、その中に埋もれた行方不明者もまだ発見されていない所で何を見たいのか。
その上、余震はまだ連日一日のうちに何度となく続いている。
そんな状況の被災地の人々はまだまだ避難所生活をしているというのに、野次馬見物とは不謹慎以外の何者でもない。
もし、また大きな地震が起こってその現地で他府県からの野次馬が被災したら、一体どうなってしまうのか考えもせず行動しているのだろう。
恐らく、平和ボケした人間が本当の悲惨な状況をただ見たいだけだ。
そして『自分たちは平和に暮らせて幸せだ』と実感したいだけだ。
所詮人は他者と比較して、自分の方がまだマシだと自分の様々な価値観を実感するために、他者の気持ちも考えずに、他者を自分のためだけに利用するエゴイストなのだ。
一年もしないうちに、福島や宮城などのその村の名前は風化してしまい、きっと被害の大きさから土地が再生できない事などを含めると、被災者の苦悩やこれから立ち上がらなければならない実情や心情など安全圏の人々からは忘れ去られてしまうだろう。
政府が何をもって 『不謹慎』と『自粛』 を解除するなどと発表したのか私には理解できない。
意図するところは、日本全体の経済活動の低迷を懸念した事からなのは解るが、被災地見物を承認したのではない。
国がそんな安易な事を公式発表し、それを鵜呑みにして何もかもを混同してあたかも
「解禁!解禁!」のような心理で国民を惑わした政府の責任も大きければ、深く物事を見極める力を失った国民自身にも責任がある。
いつでも事件や事故、災害の悲惨さは人々の心に
『悪い心』を呼び起こす。
ニュースやワイドショーで刺激的な映像をドキュメンタリーとして報道し、コメンテーターがああでもないこうでもないと他人事のように面白おかしく話題にしているのは、もう飽きた。
今や被災地の自動車や漁船、飛行機が無残に流され、その合間に人が流されてゆく、そんな映像を見る方が楽しいのではないだろうか?
それでも飽き足らず現地見物。
『人の不幸は蜜の味』
人間の根底に潜む醜い精神をもっと人は見つめなければいけない。
どうか過去に起きた悲惨な出来事を忘れず、真の意味で口先だけでなく教訓にして欲しいと思う。
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