2021年9月12日日曜日

連載『Ego』第2回

 始まり

イントロダクションも記憶出来ないまま、彼の遊びに付き合わされる。


グルグルするような感覚と不穏感を直感的に嫌だと感じた者は、彼の船から降りて脱落する。

彼は自由意志を奪いはしない。

乗るも善し、降りるも善し。

自分の好きな選択をすれば良い。

彼はそう暗黙で与える。


選んだのは君だ。


彼の言い分。


それに気づくこともなく、次の目新しい世界が開く。

餌に釣られて食わぬ魚は居ない。

好奇心が芽生えるよう、爽快感に満ちた世界が目の前に広がる。

希望があるかのような長い長いステージが始まる。

だが、まだ十分な知識も力もなく、必死でコントロールの仕方を学習しようとただそれだけに集中する。

その時には、つい先の過去のイントロダクションで味わった嫌悪感は忘れさせられている。

ひたすらステージの最後に辿り着く方法を彷徨いながら学習と獲得を目指す。


ステージの最後に何が待っているのか?

見たい欲求、得たい達成感

その衝動をほぼ無音の中で掻き立てさせる。

聞こえるのは空気の音だけ。


無音は集中力を増す一方で、やる気を下げ易い。

ある一定の音を感じることで自分なりのリズム感が内面から発生し、自分の操作しやすい心地好さを自ら生み出す。

1分の/fゆらぎ

それは彼の世界にはない。

自分で作り出すように仕組まれている。


そう、これは自分が選んだ世界で動かされる彼の遊びなのだ。


彼は設置したに過ぎない。


それを手に取るか、手放すかは自分次第。

彼の悪意なきサイコパスプログラムへ誘拐された者らは、彼を責める理由が見つけられないように初めから仕組まれ誘拐されたとも気付けない。


殺意を芽生えさせないこと

それがこの世界に浸み込ませられている。

あくまで、憎悪止まり。

その先の感情までを絶対に芽生えさせないように、ありとあらゆる手段が浸み込ませてある。

もう一度言う。

散りばめられている のではない。

仕組まれている のでもない。

浸透させてあるのだ。



それらのものを自分の全身に浸み込ませられる。

勿論、脳裏にもだ。

一瞬で焼き付く光景


嗅覚はない。

視覚、聴覚、触覚まで体感する。


嗅覚は視覚的情報のイメージングによる脳錯覚で形付けられ、その時に無意識で嗅いでいた匂いが合致した時に脳に残る。

彼は嗅覚を使わないように操作してある。

それは疑似体験を別の場所でされては困るから。

但し、自分が経験した過去の記憶は必ずフラッシュバックするように、そこかしこ、至る処、場面で遭遇させられる。

その時、嗅覚は蘇らない。

嗅覚は大抵の場合において、優しいイメージや温かい出来事と結び付いている。

強烈なフラッシュバック体験には嗅覚を記憶して置ける程の時間的余地はない。


それゆえに彼の世界には嗅覚が存在せず、わざと無機質な感覚を作り出してある。


それが味併せられる ”虚無感” の根源だ。


こんなに耐え難くなるような嫌な世界を観させられ、感じさせられ、体感させられるのに抜け出せないのは実によく出来た心理操作の泥沼だ。

そんなことが理解出来る筈は、この時点ではない。



チェックポイントと休息場所

必ず何もない、休める場所がある。

しかし出口はない。

元に戻りたいと思ってもその扉は一度出たら閉められ、撥ね退けられ、近付くことも出来ないようになっている。

用意されているのは、振り出しだけ。


長い道のりの時間も労力も費やした代償を払わせることはしない。

飽きが来ないように1秒で設定され、いつでも振り出しに戻れる安心感が用意されている。


唯一と言える程の安心感が振り出し。


休息場所には、ちっとも安息はなく、単に『休憩』をしているに過ぎず、まだ続けるのか、ここで辞めるのか考えさせるだけの場でしかない。

これまでの道のりを反省や攻略を振り返るのも善し、次はどうしようかと思案するも善し。

あくまでも、この中で自分は何をするのか?

それしか考えない。


問われているのは、

自分はどうする?

そればかり。


ステージの終わりにまだ何が待って居るのかも知らないまま、また”犯人”たちは動き続ける。


出口のない、宛てのない暗闇の楽園で一息ついてまた・・・



つづく





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