2021年9月13日月曜日

連載『Ego』第4回

 つまづきと築き

歩き方が少し分かり始め、少しの自信が芽生え始める。

だが、まだ何も認識は出来ていない。


予測を建てて、ここからは進んでみよう

そんな傾向と対策を考え始める。


それも彼の計算の内


今までとは違い、視界が悪く全体の雰囲気も ”困難” しか見当たらない。

いきなり進む気持ちにはなれない。

けれど明らかに解るのは『ここには敵は居ない』ということだけ。

そもそも今までにも敵は居なかったのに、敵が居るか?自分を攻撃し阻む者は何処に居るのだろうか?という警戒心を抱く事自体が可笑しな話なのだが、何故か、そう感じさせる。


初めに解っていた筈なのに・・・

おや?その初めで『ここでは戦いはない』と教えられて居たであろうか?

無かった。

何の案内も無かった。

何があるのか

何が起こるのか

何をするのか

何が出来るのか


全く無かった。

ただ盲目的に、透き通った見える”目隠し”をされて誘拐されたのだった。


見えるように誘拐される体験など、ほとんどの人がしたことはない。

”誘拐”自体されるような経験は一生の内でほぼ無い方が確率として多い。

それ故に、今の自分の置かれている立場が理解出来る訳はない。


すべてが見えるようにされて、透明の目隠しをされながら『何か』を体験をさせられる。


肝心な事が見えないようにされる不安感、恐怖感は絶頂の恐怖の中にある。

それを認識出来る筈もないのを彼は、はっきりと自覚し、誘いかける。



何故か感じる

寒さ

寂しさ

時刻

そして何者かの気配


突然、ザーッと過ぎ去る何者か

突然、ぶつかってくる何者か

突然、目が眩むような光を放つ何者か


「今のは何?」

その衝撃に一瞬、立ち止まる。

辺りを見回す。

すると、ポッと明かりを灯す何者かが自分と同化する程の距離で目の前に突如現れる。


何が何だか分からず、「え!?え!?」と驚いて全身が不動状態になって居るにも関わらず、相手の全身が浮かび上がる。

「何もして居ないのに何で?」

「どうしたんだ?」

考えている間に相手は次のアクションをこちらへして来る。

何が何だか分からないから、ただ従う。


それだけで去って行く者

そこから手を差し出して来る者

更に明かりを灯して何かをして来ようとする者

色々なアクションを仕掛けて来る。


それに応じるか拒否するかは自分の選択権が与えられている。


「試してみよう」そう思って応じてみる。

初めの内は大抵が好意的な静かな相手だ。

何度か遭遇して行くと、”個性”のようなものが現れる。


運が悪い時には好意的な誘いをして『一緒に乗り越えよう!』のような雰囲気を醸し出して連れて行こうとされる。

相手の意のままに従ってみると、いきなり奈落の底へと切り離される。


そこで懲りて学習をし”知恵”獲得する。


見極めよう


何をだ?

片腹が痛い笑いがする。



軽い適度な痛みは快感を与える

この辺りまで体験してくると、自分の方向性を考え始める。

「このまま進んで行くべきか?はたまた、もう辞めようか?」

自問自答が始まる。

答えと正解を探して始めたと思い込んでいるから、辞めるのは自分を諦めることと同じだと虚栄心がくすぐられる。

負けず嫌いは進む。

自分が感じている事を自覚する者は辞める。

進む者に共通しているのは、皆、傲慢である処だ。


傲慢さの無い者などこの世には皆無だ。

それを赤ら様にしたい彼の思惑に合致した者が、あたかも勝者のような錯覚に陥る。

『戦いはない』と言っているのに競おうとする。


実に不思議

実に興味深い


競わずには居られない生き物

それは精神分析学の創始者ジークムント・フロイトが晩年に友人に語った言葉の通りだ。


彼はそれを行使する。


呪手に嵌る”犯人”たち

思い知らせてやる

彼は無感情に黙って見ている。

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