2021年9月14日火曜日

連載『Ego』第8回

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それは計算された平均的な気付きのタイミングなのだろう。


統計上、人間の思考力は無限なものだと考えられている。

歴史上、数多の実験の果てに導き出された時間軸は古代から近代まで変わらない。


憑りつかれた者を振り払うには知恵が必要だ。


先ず、自分が『憑りつかれた』ことに気付けなければ不可能だ。

何に?


もう、この時点では彼は居ない。

彼の言い分は、

すべて見せただろう

すべて教えただろう

初めから、そう言ってるじゃないか


好きにしろ



勝手にさらった訳じゃない。

自分から興味を以て足を踏み入れた。

入って行ったのは自分。

進んだのも自分。

得たいと思ったのも自分。


彼は何も裏切るようなことをしてはいない。

期待したのは自分。


何があったのだろうか

疑心も不穏も何もかもが無くなって、放心する。



空虚と憎悪と快楽

次々と切り捨てて行く。

もう学習はした。

何が起きるのかも経験した。

どこへ行って、

何をして、

何を得て、

何を繰り返せば良いのかも分かった。


けれど肝心なものだけが見えない。


何となく感じる苛立ち、手の内、他の”犯人”たちの傾向。

もう一度はじめから試してみようとする。

今度こそは思い通りに動かされないように慎重に確認しながら進もうとする。


しかし彼は、そう甘くはない。


いくら慎重な姿勢で行動しようとしていても、無作為に当てがわれるアクシデントが襲い掛かる。

第二の手を仕掛けて来る。

ややパターンの違う相手をばら撒き始める。


据え置いたものもどこか違う風景のような錯覚がし、別の場所をゆっくりと探ってみようと自主的行動を始める。


新たな発見が安堵を与える。


それも束の間、またスケジュール通りに無の終わりがやってくるが、人間の素晴らしい発展する思考力が芽生える。


『一体感と連帯感』が生まれるのだ。


傷つくことを敢えて誰かに与えようと思う人間は多くはない。

むしろ共に支え合い乗り越える助け合いをしようじゃないか

そんなバカバカしい思いやりが発生する。


助け合ったところで得られるものは自分だけの利益。

与えられるものは、ただ共に居るという安心感と孤独感のない空間だけだ。


それなのに”犯人”らは、友達になったつもりでいる。


その分子が増えれば増えるほど喜ぶのは、もちろん彼だけだ。



犠牲者は今この時も増え続けている

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