2021年9月12日日曜日

連載『Ego』第3回

 テストする

一歩も動かずに居る。

何も起きない。


一つ動いてみる。

何も起きない。


一歩動いてみる。

1、2、3、4、

5でふっと湧いて出る。


じっとしていると近付いてくる。

まだ動かず何もせずに居ると、一定の行動と一定の方向へ動き、そして初めの扉へと入って行く。


現れたのは新しい”犯人”


着いて行ってみる。

新しい旗が掲げられている。

何もせずに見放し振り出しへと戻ってみる。


また動かず同じことをしてじっと観察してみる。

次のステップになった新しい別のか同じのか分からない”犯人”が湧いて出る。

その”犯人”は、同じ法則の行動をして消える。


1、2、3、

4で別の存在が2、3と現れる。

ただ黙って観察すると自分より少し上級の”犯人”が同じ法則で動く。


そして、また3ステップ目の”犯人”が湧き出る。

次の扉へと入って行く。


それからしばらく同じことをして観察して居たが自分より上のステップの”犯人”は現れなかった。

しかも、いつもは何処かの誰か、確かに生きているであろうと思える存在で賑わう場所であるのに、この時はそうではなかった。


そんなこと、誰も気付く余裕なんかない。

入ったら直ぐに自分がどうするか?しか考えられないのだから、周りを見る余裕なんてある筈もなく直感的であり衝動的行動しか取れないようにさせられている。



それは彼が与えたきっかけ。

誰にでも与えている筈だが、それを話題に出せる余裕も記憶も根気も削がれている。

だから確信を得る手段は同じような相手を見つける時間が必要になる。

それをして自分は何が得たいのかと問うと、愚問であることに気付く、という仕掛け。


この世界ではよくあることだ。

「何だ!?あれは」

そう目に留まらせ、瞬間的に体感させ、答え合わせをさせようと誘拐して行く。



誘拐されて楽しい訳がない。

誘拐されて嬉しい訳がない。

誘拐されて、これが何故か面白いと感じさせられる。


興味関心、好奇心、探求心、虚栄心、優越感

それらの上に達成感が成り立っている。


疑心を抱く者に彼はエラーを仕掛ける。

突如、意図的とは分からないようにハプニングを与える。


脳のリセットとリフレッシュのためにパーンと弾く。

1秒の出来事は人間にとって、脳をスパークさせるのに有効的時間だ。

直感がその時間に起きるからだ。

しかし、十分な判断力は働かず、結局「何が起こった!?」と驚くだけで、口々にエラーだと決め付けの答えを導き出す。


ヒューマンエラーもマシンエラーも誰も見分けは着かない。

それを判断出来る手の内を持って居るのは仕組んだ側にだけあるのだから、解明する理由があるとするなら自分にとって何らかの不利益を被った訴えを公然と差し出すため、それがヒューマンエラーだと責めるためのみであろう。


だから、そんな面倒なことは余程のことがなければ誰も時間を費やそうとはしない。

それを彼は解っている。


たまたま、事実明白な訴えをして寄こした相手にですら何も応答しようとはしない。



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