2021年9月16日木曜日

連載『Ego』第9回

 落ち着き始めたころ

それをはっきりと見えているのに見えない。

自分が見せられているものが何なのか何も解らない。

”解っている”つもりでいるだけだ。


彼の厄介な処は、すべてをオープンにしている処。


人間は見たもの、聞いたもの、感じたものを自分の体験、経験に結び付けて

「きっとそうだ」と思い込む。

自分の良いように捉える。

だから、人それぞれに価値観の捉え方が違うのが人間の居る現実世界だ。


しかし彼の世界は違う。

彼が見せたものや感じさせたものは、こちらの価値観で変える事が出来ないように仕組まれている。

絶対的に多様性にさせない工夫がされている。

こちらが捉え方をいくら変えようとしても変えられない。


人間には適応力がある。

それを発揮する時は、大抵が困難を可能にしようと努力するときに現れる心理だ。

何かが出来なければ、得られなければ諦めてしまう。

それでは彼の計画が達成できない。

だから助けてくれる”犯人”を宛がう。

すると可能になる。

自分だけではどうしても越えられない『もの』がある場面で必ず”助け舟”が差し出される。

それを同じ状況に、たまたま居合わせた者だと勘違いさせる。

彼の作為だとは誰も気付かない。


コミュニケーションをしようとしまいと何も変わらないのに、其々の個性で選べる。

彼が与えているのは『孤独感』なのだ。

”犯人”らは、その孤独感を楽しんでいる。

嫌だと思う者は連帯するし、その方がむしろ自由で良いと思う者は単独行動をする。

どちらにしろ彼の手のひらで遊ばれているのには変わりはない。



周期するゆらぎ

ある”犯人”は気の合う仲間と密接になって居る。

ある”犯人”は誰にも邪魔されぬよう孤立して居る。

両者ともに訪れるのは、「もう辞めようか」という疲弊感。


疲弊感と閉塞感の中でもまだ続けようと思い直させるために、実に魅力的な”餌”を予告して据え置く。

飽きさせない、離脱させないための演出を用意してある。

それも全く無理を強いない。

各々のペースで締め切りまで好きなように計画して実行可能なようにして置き、最後の答えだけは隠してある。

手品と同じ。

種明かしは最後に取ってある。

その『最後の答え』に無理難題を押し付ける。

それが彼の、そして彼のパトロンへと渡る仕組みになって居る。

群がる”犯人”たち。

一歩も二歩も出し抜こうと躍起になる”犯人”たち。

それに追い着こうと我武者羅になる”犯人”たち。


彼は、あたかも縁日でご利益にあやかろうと集まって来た群衆に餅をばら撒く高台の『神』の如き存在に昇り詰める。

あるいは、ハイエナにおこぼれをやる満腹のライオン。


答えを知り、鬼のような課題に釣られたと思う者は諦めてたたずむ。

まだ出来るやも知れんと立ち上がり、抗おうとする者も居る。

身を滅ぼし、身を削り、精神的疲弊を与えられても辞めようとは決してしない。


面白さと個性を作り出すために舞台が用意されている。

それは彼が集積するデータのためにある。


彼が何を収集しているのかは、”犯人”には分からない。

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